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私のつくば市

つくば、私(わたし)の愛(あい)

2013年7月 8日 11:32

つくば徐1.JPG 人生(じんせい)は未知(みち)と偶然(ぐうぜん)に満(み)ちていて、人生(じんせい)の旅(たび)において次(つぎ)の瞬間(しゅんかん)に何(なに)が起(お)こるのか我々(われわれ)は永遠(えいえん)にわかりません。再度(さいど)来日(らいにち)し、つくばに出会(であ)い、深(ふか)く愛(あい)するようになることが4年前(ねんまえ)の春(はる)の私(わたし)には想像(そうぞう)すらできませんでした。

 4年前(ねんまえ)のある肌寒(はださむ)い秋(あき)の日(ひ)、別(わか)れの惜(お)しさと未来(みらい)への憧(あこが)れを胸(むね)に、海(うみ)の向(む)こうからこの桜(さくら)の国(くに)へやってきました。リムジンバスでつくばセンターに着(つ)いたときはもう夕方(ゆうがた)で、夕日(ゆうひ)が往来(おうらい)する車両(しゃりょう)と通行人(つうこうにん)を優(やさ)しく照(て)らしていて、とても閑静(かんせい)で和(なご)やかでした。

 つくばに来(き)て、一番(いちばん)印象(いんしょう)深(ぶか)かったのは、つくば市の和(なご)やかさと豊(ゆた)かな緑(みどり)です。緑(みどり)豊(ゆた)かな中国(ちゅうごく)南方(なんぽう)生(う)まれ南方(なんぽう)育(そだ)ちで、「地上(ちじょう)の天国(てんごく)」と言(い)われるほど風光明媚(ふうこうめいび)な杭州市(こうしゅうし)で7年間(ねんかん)も暮(く)らしていた私(わたし)にとっては、緑(みどり)は決(けっ)して珍(めずら)しいものではないし、特別(とくべつ)跳(は)ね上(あ)がるほどでもありません。しかし、私(わたし)はやはりつくば市と筑波大学(つくばだいがく)の構内(こうない)の言い表(あらわ)しようのない鮮(あざ)やかで綺麗(きれい)な緑(みどり)にすっかり魅了(みりょう)されてしまいました。つくばの緑(みどり)は惜(お)しげもなく、至(いた)るところで目(め)に入(はい)ります。つくばの緑(みどり)は芳(こう)ばしくてユニークで、自然(しぜん)で俗(ぞく)っぽさが全(まった)く感(かん)じられなく、思(おも)わず心(こころ)を奪(うば)われてしまいます。東京(とうきょう)を情熱的(じょうねつてき)でオープンな都会(とかい)の女子(じょし)と喩(たと)えるならば、つくばはまるで静(しず)かで可愛(かわい)い隣(となり)の家(いえ)の少女(しょうじょ)のようです。この少女(しょうじょ)のおかげで、私(わたし)たちは心(こころ)が澄(す)み切(き)り、気分(きぶん)がすがすがしくなります。

つくば徐2.JPG つくばは静(しずか)なまちであり、お洒落(しゃれ)で活気(かっき)に溢(あふ)れているまちでもあります。つくばはお洒落(しゃれ)なまちだという人(ひと)は少(すく)なくありません。私(わたし)から見(み)れば、つくばのお洒落(しゃれ)と溢(あふ)れる活気(かっき)はその街(まち)自体(じたい)の若(わか)さ、数多(かずおお)くのパン屋(や)さんと研究所(けんきゅうじょ)からくるものだと思(おも)います。つくばは今年(ことし)で満(まん)50歳(さい)になり、「パンの街(まち)」と言(い)われ、市内(しない)には美味(おい)しいパン屋(や)さんが多(おお)くあります。そして、つくばは頭脳(ずのう)の集積所(しゅうせきじょ)であり、市内(しない)には70以上(いじょう)の大手(おおて)研究所(けんきゅうじょ)があり、日本(にほん)の「シリコンバレー」と言われ、人口(じんこう)の31人に1人は博士(はかせ)と言われています。

 夢(ゆめ)のために頑張(がんば)っている人は美(うつく)しいです。夢(ゆめ)を追(お)っている人の一員(いちいん)として、つくばでの勉学(べんがく)の日々(ひび)は忙(いそが)しくて決(けっ)して楽(らく)ではありませんが、和(なご)やかで幸(しあわ)せです。都会(とかい)の喧騒(けんそう)から離(はな)れ、豊(ゆた)かな緑(みどり)の中で静(しず)かに自分(じぶん)の心(こころ)に従(したが)い、自分(じぶん)の夢(ゆめ)を追(お)っていくのは、至福(しふく)であり美(うつく)しいことに違(ちが)いありません。

留学生交流員 徐 微潔

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